2月1日(日)礼拝後に、教会で終活セミナーが開催され、参加しました。

日頃からある程度の知識は持っているつもりでしたが、改めて専門の方のお話を伺うと、初めて知ることも多く、大変有意義な時間となりました。

今回は、名古屋でキリスト教葬儀を専門に手がけておられる『さいわい企画』さんを講師としてお迎えしました。教会での開催ではありましたが、クリスチャンに限らず参加可能とのことで、当日はノンクリスチャンの方々も出席されていました。

誰にとっても避けることのできない「死」。そして葬儀について、皆が静かに、真剣に耳を傾けていた姿が印象的でした。

キリスト教葬儀の意味と目的について、次の三点を学びました。

一つ目は、創造主である神に祈り、礼拝をささげる時であること。

二つ目は、遺族に慰めと励ましをもたらす時であること。

三つ目は、故人への愛と敬意を表す時であること。

「葬儀は礼拝の時でもある」という言葉が、特に心に残りました。クリスチャンにとって死は終わりではなく、天国への入り口です。そこに希望があるからこそ、キリスト教の葬儀は悲しみだけで終わらないのだと、改めて感じました。

以前参列した、忘れられない葬儀を思い出します。女性の方の、深く低い歌声から始まり、まるで嘆きのような響きだったものが、最後には一転して明るく力強い賛美へと変わり、まるで祝祭のような雰囲気で締めくくられました。悲しみの中にも確かな希望がある――それがキリスト教葬儀の姿なのだと思います。自分がいつかこの世を去る時には、涙だけでなく、希望を胸に見送っていただけたらと願わずにはいられません。

そして今回、生まれて初めて「エンディングノート」というものを手にしました。延命治療の希望、臓器提供や献体の意思、葬儀の形式、飾ってほしい花、希望する賛美歌、墓地や埋葬方法など、具体的な問いが並んでいます。種類によっては、金融資産や暗証番号、サブスクリプションなどを記すものもあるそうです。

ドラマなどで、故人のスマートフォンの暗証番号が分からず困ってしまう場面を見ることがありますが、決して他人事ではないのだと感じました。残される家族のためにも、きちんと備えておくことは大切なのだと思います。

とはいえ、今すぐ命に関わる状況にあるわけではないと、「書こう」と思いながらも、なかなかペンが進まないのも正直なところです。死はいつ訪れるか分からないもの。頭では理解していても、心の準備とはまた別のものなのかもしれません。

いっそ、皆で語り合いながらエンディングノートを書く会でもあれば、少しは取り組みやすいのではないでしょうか。終わりを考えることは、今をどう生きるかを考えることでもある――そんなことを思わされた1日でした。