教会には、とりなし祈りの家族というグループが存在してる。
祈って欲しい事、課題をあげて、祈ってもらうのだ。
20数名の祈りの戦士達が、特別に覚えて祈ってくれる。

私は、このとりなし祈りの家族の存在がとても大好きだ。
なくてはならない、私の一部になっている。
私は弱く脆く、すぐに祈りを要請して祈っていただく。
不思議な事に、そのグループに祈りを要請すると、嘘のように、胸の痛みが無くなったり、事態が良い方向に向かったり、祈りって聞かれるんだ、と毎回思わせられている。
ストンと、胸のつっかえが取れるのだ。私がただ単に単純なだけではない。祈りを聞かれる神様がいるから、変化が見られるのだ。
祈りは聞かれる。これは良い知らせだ。誰でも祈り心はある。

困った時の神頼み、と言われるように、神様!お願い!って事が、人生には起きるものだ。
そんな時、祈りを聞かれる方の元に祈りが届けられる事が一番大事だ。

教会では、イエスキリストを本当の神様だと信じ、礼拝し、祈り、感謝し、人生を過ごしている。
多くの祈りが聞かれている奇跡を、沢山見ることができている。
聖書にこんな言葉の約束が記されている。

『求めなさい、そうすれば与えられる。探しなさい。そうすれば見つかる。門をたたきなさい。そうすれば開かれる。』マタイ7章7節

あなた方の祈りを聞くよ、と、聖書の神様は言ってくださっているのだ。
そして、お互いに祈り合える、とりなし祈りの家族がいて、そんな祈りに取り囲まれながら暮らせる人生は、本当に安心で幸せだ。
こんな大きな恵みはないと思う。
そんな、本当の祈りに、沢山の人達に出逢って欲しいと、私は心から願う。
祈り心を持って、教会に来て頂きたい。祈りを聞かれる方を、ご自分で体験して頂きたいのだ。
この世には、いろんな祈りがあるけれど、本物を体験しないこと、これほど大きな損失はない、と私は思うからだ。

  〈まさみん〉