先日、我が家の愛犬が、亡くなりました。一年ほど前から、認知症が始まり歩くのもおぼつかなくなり、いつ亡くなってもおかしくないと、家族全員が覚悟しながら、生活していました。
心の準備はできてはいましたが、亡くなった当日は家族で悲しみました。夕飯の支度をしたのか、食べたのかも、全く記憶がありません。
次の日、犬の世話がまったくない事に、違和感を感じ、寂しさと後悔が襲ってきました。家族を送り出してから、ひとり泣きながら犬のベッドや首輪を片付けていました。
3日目、仕事で気が紛れましたが、帰り道、車で散歩道を通り、また涙が…。涙を流すだけ流すと、少し気持ちがラクになっていました。
そして、泣いてばかりいる自分に、ちゃんとケジメをつけようと、父の遺影の横に犬の写真を飾りました。友人たちが、励ましの祈りで支えてくれているのを感じ、寂しいけれど感謝が溢れてきました。
私はこれまで、ペットを亡くして悲しんでいる方たちの気持ちを、本当に理解していませんでした。特に、立ち直るのに時間がかかっていた方たちに、「たかが、ペット」という冷たい思いから、もしかしたら心ない対応をしていたかもしれないな…と今、深く反省しています。
嬉しい事だけでなく、寂しい経験、悲しい経験さえも、益にしてくださる神さま。経験が出来たことを喜びます。これからも、さまざまな出来事を通して、人の気持ちに寄り添えるように、私を成長させて下さい。
『神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。それで私たちも、自分たちが神から受ける慰めによって、あらゆる苦しみの中にある人たちを慰めることができます。』コリント人への手紙 第二 1:4
〈hiro〉
イラスト 豊田ホープチャペル Oちゃん