先日、割れて金継ぎをした器が、また割れてしまいました。
修復した主人が言うには、素人の金継ぎだから、もたなかったんだ、と。
早速修理用具を揃えていました。

何故なら、とてもお気に入りの大好きな器だからです。決して捨てることはないのです。

聖書の神様も同じです。
人間は陶器のように、もろく、時に割れてしまう事があります。
神様は、陶器師、修復師です。
そして、私たち人間は神様の作品だ、と聖書は語っています。

欠けた割れた私たちを、そのままにはしません。
必ず修復なさいます。
それは、神様が私たちの事を大好きで愛しているからです。ご自分の大事な作品だからです。

だから、捨てることなどあり得ないのです。

人生は時に過酷で暗闇を通る時もあります。
でも希望があります。
神様が愛の陶器師、修復師だということです。
私たちには、自分を修理することはできません。
でも、それでいいのです。
私たちを造った神様が、私たちを癒やして下さるからです。

教会はそんな神様に出会う場所です。

『私たちは神の作品であって、良い行いをするように、キリストイエスにあって造られたのである。神は私たちが良い行いをして日を過ごすようにと、あらかじめ備えて下さったのである。』エペソ2.1

                                          〈まさみん〉