『苦しみは嫌だが役に立つ?!』

苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。 私はそれであなたのおきてを学びました。
詩篇119篇71節

この聖書の言葉は、ある1人の女の子を前にした時に、私の心に思い起こされたものです。

その女の子は、中学の時に、いじめられていたクラスメイトを庇ったことを理由に、自分もいじめられるようになり、不登校になった経験がありました。
正しいことをしたのに…なぜ?私はこんな目に遭うの?この世界に正義はどこにあるの…?
彼女は、1人部屋の中で考え続けていたそうです。

そんな時、彼女の目に留まったのは、部屋に置いてあった幼稚園の時にもらった聖書でした。「ここに答えが書いてあるかもしれない」と思い、彼女は聖書を読み始めました。

この世界を創った神様がいること、その方は正義を為されること…彼女は聖書を読み、自分が求めている答えがあると確信し始めました。
そして、家の近くにあった当時私が通っていた教会に足を運び、礼拝に参加し始めたのです。

そんな彼女は、彼女が求めているものはイエス様の中にあると確信し、イエス様を信じて洗礼を受けました。
彼女の顔は輝いていました。

洗礼式が終わった後、教会の皆で彼女に一言ずつお祝いの言葉を掛ける時間がありました。
その時、私の頭に冒頭でも書いた聖書の言葉が突然浮かびました。

苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。 私はそれであなたのおきてを学びました。
          詩篇119篇71節

私がそのみことばを彼女に伝えた時、彼女は「ありがとうございます。嬉しい…」と言って静かに涙を流していました。
彼女は苦しみをきっかけに人生の本質を求め始め、求め続けた結果、彼女が一番必要とする方に出会ったのだと思いました。
彼女の苦しみは報われたのです。

理不尽なことや苦しみの意味が理解できない時、それは耐え難いものです。「きっとそのうち良いことがあるよ!」と励まされても、その良いことがない日を過ごし続ければ、そのうち希望がなくなってしまいます。

苦しみは人生で本当に必要なことを知るためのきっかけになるのだと、私はこのことを通して再確認しました。
苦しいからこそ、日常の様々なことよりも、人生の本質を求める意識へと切り替わるのだと思いました。

そして、その意識の変化を全知全能なる神様は確実にキャッチし、全てのことをよい方向へと変化させて下さいます。
最後に、聖書のみことばで、この証を締めくくりたいと思います。

[ローマ人への手紙 8:28]
神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。