私は、最愛の妹を闘病の末、失うという体験を7年前にした。
その喪失感は、舌筆し難く、大きな穴ぼこが心にポッカリと空いた。
そのどうしようもない、埋めれない穴ぼこを埋めようと必死にもがきながら病みながら、この7年間をあっというまに過ごしてきたのだと、振り返って思う。
どうしてこんな、辛い事が自分の人生に起きるんだろうか?
できてしまった心の穴ぼこを見つめては、嘆いた。
そして、その疑問がなくなるまでには長い年月が必要だった。
気づいたら7年が過ぎていた。
7年が過ぎ、ようやく、穴ぼこが小さくなって、埋まっている事に気づいた。
その形跡、残骸は残っているけれど、確かに、私は前を向いて歩く、生きるという気持ちになれたんだ。
教会に通っている事が大きな要因だ。教会で出会う神の家族の存在が私を癒した。
私は看護師だ。長いこと、仕事からも離れていたけど、今、リハビリに特化したディサービスで働き始めた。
そこには、脳出血や脳梗塞や色んな病気をして片麻痺になったり、体の機能の一部を失った方々が、リハビリに来る。
悔しい気持ちややりきれない気持ち、あるのが手に取るようにわかる。
その方々にそっと寄り添って、できる事を数えて、ある機能を存分に活かして生活できるようにリハビリする。
そこには、一度、私の心に出来た大きな穴ぼこが、役割を発揮しているのを、とても感じる。
喪失感という共通の痛みがあるからだ。
何を言わなくても、そっと寄り添える。そうして働けることは、とても大きな喜びになっている。
あ〜神様からの贈り物なんだなぁと思うのだ。
贈り物は、初め、大きな穴ぼこという痛みでしかなかった。
でも年月が経って、かけがえのない私の一部になってることに気づけた。
聖書に、こんな言葉がある。
『神を愛する人々、すなわち、神の御計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。』ローマ8章28節。
そうだ。人生にどんな絶望がやってきても神様にはそれらを全て益に変える事ができるのだ。
私たち人間に神様が下さった最高の贈り物、それはイエスキリストとその十字架、死、そして復活だ。
それが与えられているから、どんな絶望も希望へ変わる。
私は、それを体験した。
大きな声で、この良き訪れを叫びたい。
教会はそんな本当の神様と出会う場所だ。沢山の方に私と同じ体験をしてほしい、私はそう心から願う者に変えられた。感謝だ。 〈まさみん〉