死にゆく義母に神様のことを知らせたい!という思いは強い。しかし、どのように知らせるかは大きな問題となって私の前に立ちはだかった。ほぼ1日おきに訪ねて行っていた私は次第にストレスを感じるようになってきていた。ああ、今日も言えなかった。また今日も言えなかった。どうしよう?とストレスばかりため込んで30分の面会時間が終了する毎日が過ぎて行った。余命3か月。いや、もしかしたら3か月ないかもしれないと思うと、気ばかり焦り、時計の針がチクタク自分の頭でなっているのがわかる。
そんな時助けてくれたのはやはり神様であった。教会に届けられた子供向けのクリスマストラクトをパラパラめくった時に、これだっ!と思い、さっそくそれを持参することにした。
イラスト入りでしかも簡単にイエス様のことが書かれているので説明しやすいことこの上ない。病室にいられるのは30分。やらなければいけないことをやり、さっそくお話に入る。「今日教会でこんなものを配っていたんですよ~」と絵本のようにめくりながら読み始める。絵は見えていなかったと思う。でも話は聞いてくれていた義母。ここからどのように話を進めていくか?そこは問題ではあるのだが、最初の一歩は踏み出した。そんな実感はあった。
基本、義母の面倒を見ているのは義姉であったが、この頃から時々病室で義姉と一緒になる事が多くなった。イエス様の話をするまでは一度も病室でばったり会ったことなどなかったが、ほぼ毎回鉢合わせるようになったのは不思議としか言いようがない。家族でクリスチャンなのは私と主人だけで、もし義母がクリスチャンになれば反対されるのは必須であった。義姉がいない時を見計らって義母に神様のことを伝えるのはなんだか後ろめたいような気になったものだ。しかし正しいことをしているという自負はあった。神様のことを伝えているのにこれが悪いことのわけがないじゃないか!と自分に喝を入れているものの、隠れてやっているようでいい気はしなかった。
しかし、トラクトを見せながら「お義母さん、ここには死後のことが書いてあるんですよ。死後、どこに行くか知りたいですか?」と問いかけた時、義母の目がくっきりと開かれた瞬間を私は覚えていた。どよんと沈んだ目が、まるで何かを見たかのようにかっと開かれ、神様のパワーを目の前で見せられた気がした瞬間だった。 〈こまち〉