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ほどなくして主人が義母と話をし、主人が義母の神様に対する思いを確認したと告げられた。「牧師先生に連絡してくれ」という主人も納得した様であった。もともと義母は牧師先生に来てもらうことには最初から反対していなかった。私が何度も、「牧師先生に来てもらおうか?」と尋ねると、「うん、いいよ」と言っていたので、要はただ単に主人が義母の意志を自分で確認したかっただけだろうと思う。もちろんそれは息子として当たり前のことなので、最終的に主人からのGoサインが出たのはうれしいことだった。喜んで再度牧師先生と日程の調整をし、その日を待つばかりとなったわけだが、そう簡単にはうまく運ばないのが世の中だ。

予想の範囲内ではあったのだが、義姉の反対が強く、結果的に再度牧師先生の訪問をキャンセルすることになってしまった。主人から話を聞くと義母がまだ若かった頃、ある宗教とかかわりがあったらしく、その頃の苦い思い出が当時若かった義姉にあるのだそうだ。ちなみに主人は幼すぎてこの事を覚えていない。自分の意志に反してかかわりを持たされたらしいその宗教の為に、一切の宗教と呼ばれるものから自分の母を守りたいという思いが義姉にはあった。

結果的に病床洗礼までたどり着くことはできなかったのだが、私自身は自分でやれることは全部やった気がしている。義母もイエス様を信じて旅立ったと思っている。ちょうど世の中がお正月休みに入った頃に義母が最後の10日間を迎えたわけだが、私と主人は病室に行っても静かに座っているだけだった。よく死ぬ間際でも耳は聞こえているから話しかけた方がいいという話を聞くが、私には義母に話しかけることはできなかったし、主人は当たり前のように黙って30分病室に座っていた。もし、死にゆく義母に対して何らかの後悔があるとすれば、その時に何も話しかけなかった事かもしれない。それでもその時は話しかけることがはばかれたので、しょうがないと思っている。

お正月休みが明けた初日の早朝に義母はこの世を去った。年明け早々、会社に出勤する代わりに私たちは病院に駆け付けた。すでに義姉と義姉の娘が病室にいたが、誰も最後の瞬間には間に合わなかったそうだ。痛みに強い義母であった。相当痛かったと思うのだが、弱音も吐かず、話せなくなったのは最後の10日くらいのもので、それまでは意識もはっきりしていた。その意識のはっきりしていた時に、義母の神様に対する思いを確認できたのは幸いであった。

宗教色を全く省いたお葬式であったが、それでも義姉はお棺に御朱印帳を入れた。形式はどうでもいい。大事なのは神様を信じる心だ。そう思えるようになったのは私自身も少し成長したからなのかもしれない。

自分が後悔しないように死にゆく人に伝えなければいけない事は、きっとその人によって違うのだろう。神様を信じるか?信じないか?は結局最後にはその当事者と神様の間にだけわかる事実だが、残されたものが確信を得るためには、死にゆく者に「神様を信じます!」と言ってもらわないと確信が持てない。ある意味自分勝手だとは思うが、残された者とて安らぎを得たい。それが正直な気持ちだ。年齢を重ねるにつれ病気になる家族、友人が多くなり、その都度考えることは同じだ。私は確信を得たい。この方が最後の時を迎えるとき、この方は神様のところに召されるという確信を得たい。

この義母の死から1年後、自分の母にも病気の危機が訪れたが、その事はまたいつかお話ししようと思う。義母の時の経験を生かし、どのように母に神様のことを伝えられたか?そしてどのように母が神様を信じるようになったのか?を話す機会はいつかやって来ると信じている。

目に入る景色がその人の記憶を呼び起こす。聖書の一説がその人の空席を埋めることもある。そうやって記憶の中にとどめておこう。義母の記憶を。神様、ありがとうございます。   〈こまち〉