私は普段、近くにいる友人たちと、イエスさまの話をする事はほとんどない。特に、小さい頃から一緒に育ってきた幼馴染みたちや、クリスチャンになる前からの友人たち。

何故かって…それは、嫌われたくないから…。鬱陶しいな…と思われたくないから…。そう、自分を守るために、私はもっとも神さまの救いを伝えたい人たちに、話す事をためらってしまっている。

イエスさまも、郷里に行かれて伝道をした。(マルコの福音書6.1)でも、「この人は大工じゃないか!」と、自分の郷里では信じてもらえない事もあったようだ。イエスさまでさえ、そうだ。きっと、悲しかっただろうな…寂しかっただろうな…と考えてしまう。

どうせ、私が神さまの話をしたとしても、心が病んでるんじゃないか?と心配されるのがオチだろうな…と勇気がでない。それでも、知ってほしくてウズウズしている自分もいる。心中複雑だ。

でも、2年前から新型コロナが騒がれだし、マスクが店頭から無くなった時があった。その時に、私たちの教会の宣教師が「手作りマスク」を作成しだした。マスクと共に聖書のみことばを書いた紙を入れて、「持っていって誰かにプレゼントしてください!」と無料で配り出した。

それを聞いた私は、宣教師から何枚かマスクを分けてもらい、友人やその子どもたちに配る事ができた。子供用マスクは特に喜ばれた。私からの言葉では響かないであろう友人たちに、宣教師が作成したマスクから愛が流れ、聖書のみことばが広がっていく。マスクを手にした職場の先輩はその後、末期癌ですぐに亡くなった。私が先輩に唯一できたのは、宣教師の作ったマスクを届ける事だけだったが、何か伝わっていれば嬉しいと思う。

あれから2年経ち、最近、彼女はこんなものを作成した。「マスクチェーン」だ。本当に可愛くて嬉しい😊

マスクチェーンと共に、やはりみことばやメッセージが添えられている。これも、「みんなもらってください!」と彼女は無料で配ってくれる。今回は、「神さまなんていないでしょ…神さまがいたら、私はこんな生活してないわ…」という職場の先輩と、最近いろいろな事が重なり沈んでいる先輩にプレゼントさせてもらった。

今の私には、もっとも近い友人や、神さまに興味のない職場の人たちに、神さまの事を知ってもらう事は勇気がいる。でも、信仰の友たちが、私とは別の賜物を用いて、私の愛する人たちに愛を伝えてくれる事がある。本当に感謝だ✨

いつもお金を受け取らない彼女に、申し訳ない思いにもなるが、こうも思う…。彼女が喜ぶのは、きっと渡した人たちに神さまの愛が伝わる事なんだろうと。いつか、彼女に「あなたが蒔いてくれた種に花が咲いたよ!」と報告できるのが楽しみだ✨

『涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。種入れをかかえ、泣きながら出て行く者は、束をかかえ、喜び叫びながら帰って来る。』詩篇126.5〜7