先日、教会で50周年記念礼拝が行われました。その礼拝の準備で教会のいろんな方がそれぞれ自分のできる奉仕をされていましたが、あまり協力できなかったことに少し情けなく感じました。
誰からも責められてるわけではなく、自分ができることをしたつもりでしたが、もっといろいろ奉仕に携わることができたんじゃないかと思うとちょっと寂しくなりました。
そんななか、今度はまた教会で子ども向けのイベントが企画されてることを知り、ただその月は週末にいろいろ予定があり教会にも行くことができないので、また何もできないと思ってました。
ところがその奉仕の中でわたしの名前が出ていました。ちょっとびっくりだったのですが、あーこれはきっと神様がわたしの気持ちを知って、用いてくださったんだと。本当にびっくりでしたが、こんなわたしでも役に立ててもらえるならと思うと嬉しくなりました。もちろんわたしにしかできない特殊なことではなく、誰でもできることなのですが、それでも忙しいとできなかったり、だから神様はその時間もわたしに与えてくださったと思うと本当に感謝でした。
人が生きる目的は、神様を愛すること、神様に感謝して褒め称えること、そして人同士が互いに愛し合い支え合うこと。だから一人一人違う性格や考え、賜物が与えられてるんだと本当にそう思いました。
そんな時に思い浮かんだ賛美に
「役に立ちたい」という曲があります。
きっと人は誰もが誰かのために、そして神様のために役に立ちたいと願ってるんだなーと思います。神様は私たちをきっとそのように造られたんだと私は思います。
I’m Available to You
役に立ちたい/I’m Available to You
『実に、私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをあらかじめ備えてくださいました。』
エペソ2:10 (MK)