人生には、どうしようもない苦難を通る時がある。

私は6年前に、最愛の妹を亡くした。そのとんでもない悲しみに、私の心は壊れた。

沢山の病名がつき、困難な症状。医者は入院を勧める。
薬を飲んでも、医者と話しても、私の心は癒えなかった。壊れたまんま。

壊れた心はどこに持っていけばいいの?!
やり切れない気持ち。
生きているのもイヤになった私は死ぬことばかり考えてた。

みんなが私を責めてると思ってた。幸せになんかなっちゃいけないんだ!私は悲惨じゃなきゃダメなんだ!
そんな自己認識に捕らわれ、自傷行為をした。

壊れた心は重く、苦しい日々は続いた。

そんなある日、私は豊田ホープチャペルに行った。
暖かい歓迎に、神様の話し。

心地よかった。以来ずっと豊田ホープチャペルに行っている。

神様のことがわかり、愛がわかり、賛美し、礼拝し、祈った。どうしようもない心の痛みを祈った。吐き出すように、叫んだ。

祈りは聞かれる。
今私は普通に生活できている。
まだ薬は飲んでるが、以前のような自己認識ではない。
幸せになっていい、幸せだ、、と思ってる。

私の信じている神様が本当のしるしだ。

なんでも壊れたら、作り手の元に持っていき修理してもらう。
時計が壊れたら、時計屋さんに持っていき、なおしてもらうのだ。

人も同じ。
壊れたら、造り主のところにもっていくのが懸命だ。神様は私たち人をお造りになった。その造り主、神様のところに行って、治してもらうんだ。

私の壊れた心は、造り主の元で、修理してもらい治った。

聖書には、私たちは、神様の作品だ、、と書いてある。唯一無二の作品なんだ。
その作品が故障したら、治せるのは、作品を創った造り主だけだ。

この現代、心が壊れるように生きてる人が多い。そのような方達に、造り主の元に来るように、お誘いしたい。
本当に、治すことのできる、造り主に出逢って欲しい。

『私たちは神の作品であって、良い行いをするようにて造られたのです。』    エペソ2:10

                                       〈M.H〉